妖姫 西王母
妖精、精霊、天女、仙女など、人とはかけ離れた生命体。物語や絵画や挿絵に登場しますが、醜いものと美しいものとがおりまする。(笑)
たとえば、芥川龍之介の「羅生門」の婆や、柴田是真の茨木図屏風なんかの婆は、妖怪、物の怪とされていますが、妖精、精霊、天女、仙女などと、おなじ世界のものと考える私。
太古は鬼神だった西王母(←長澤蘆雪の西王母に、西王母伝説の由来が記事になっています。)は、雛祭の祖ともなり、桃に宴にと、原典から、ずいぶんとかけ離れた仙女に描かれています。
画像引用は、浪花をいろどる-大坂で活躍した絵師たち-展のポスターから、江阿弥の西王母図(部分)です。奥文鳴の「西王母・紅白桃図」の中央と同様に、身体の向きの方向へ歩いている構図にも見えますが、荻生天泉 の西王母図に倣うと、位置が反対にも思えます。
西王母は、侍女を伴って描かれているか、玉座に座っているか、飛翔しているか、庭園を歩いているかというように描かれていますが、月僊と狩野雪は、肖像画のように描いています。
左から、月僊 西王母図、大和絵の大家 荻生天泉 西王母図、江戸女流絵師 狩野 雪 西王母図です。狩野雪は、狩野探幽の娘になります。月僊は、たおやかに熟した西王母を、天泉は、優美な物腰の西王母を描き、雪は、初々しい西王母を描いているようです。

屏風 漢武帝と西王母 です、 年代、作者は不詳ですが、日本のものと紹介されていました。リンクの西王母に、説明がありますが、桃花の伝説のひとこまです。また、西王母が7月7日に武帝に会う約束をしたという伝承からは、西王母は、雛祭だけではなく、七夕の起源にも関わっていますが、牽牛と織姫の渡る天の川を、簪で裂いたという伝えもあります。

円山応挙に学んだ奥文鳴の「西王母・紅白桃図」です。三幅対で、西王母の庭園で、3000年に一度咲くといわれる桃花を見ているのでしょうか。江阿弥の西王母図と比べてみてください。
3000年に一度という、西王母伝説の不老不死の仙桃は、桃源郷とみなされることもありますが、もともとの伝説は、戦乱の「外の世界」から隔てた村のお話が原典です。
神々ではなく、人でもない。姿は美しいけれど・・・となると、天女や仙女は美しく描かれます。人魚伝説と同様に、櫛や鏡を残し、浮世の世界に姿を表わしますが、いずれ空へと昇っていく。
こちらは、神坂雪佳の「羽衣」ですが、とても不思議なもの。薄く軽くしなやかで、此の世の織物とも違う。天女の羽衣は、縫い目も切れ目もないのに、衣のかたちで、天女は纏う。
雪佳の「羽衣」は、天女の羽衣とは違い、神に仕える女性の衣のようです。古代の巫女かもしれませんね。
ただ、この立ち方をみると能を思い出しませんか?祝言の能「西王母」は,周の穆王へ「君の長寿を祈り、君の再び来るを願う」という交流のお話です。「東方朔 西王母」は、帝に仙桃を捧げに来た西王母と、帝に仕える仙人・東方朔の相舞です。
このように考えると、なんだか「羽衣」も「西王母」に思えてくる私でした。
さて、尾形光琳も西王母を描いています。尾形光琳 西王母/狩野永楽 西王母東方朔図屏風/西王母 滝図(三幅対)は、変身抄からご覧ください。長山孔寅の西王母図は、mari さんから。狩野常信の西王母は、Magnum masse からどうぞ。
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コメント
KAFKAさん、いろいろ楽しませていただきました。マンガの話題で遊んでいただいたり。
よい年をお迎えくださいね。
投稿: とーし | 2006年12月31日 (日) 17時03分
とーしさん
あけましておめでとうございます。
KAFKAのほうが、いっぱい遊んでもらっています。
今年は、自宅でのんびりお正月を迎えています。
初詣は、明日行くんです。
おみくじが楽しみ。境内には、お茶屋さんがあって、無料でお菓子とお茶がいただける神社なんです。
そのお茶屋さんは、地元のお菓子屋さん。
そのお菓子を食べて、15日までの冬休みをゆっくり過ごします。
投稿: KAFKA | 2007年1月 3日 (水) 02時00分