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2010年6月23日 (水)

今日もがんばった

「あぁ~つかれた」という言葉のかわりに「今日もがんばった」と言うほうがいいと教えてもらったことがあります。

どうして「あぁ~つかれた」と口にしてしまうのでしょう。

そして「がんばる」、「努力」という言葉が嫌いな私なのですが、「今日もがんばった」という言葉だけは素直に受け入れています。

先週の木曜日だったでしょうか。母のところ(お寺)におまいりに行ってきたときのこと。納骨堂なのですが、いつも一人ぼっち。

そのとき、心が落ち着かない日だったせいか、母のところにいくまでのいくつかの仏さまに手を合わせつつも上の空。

母に手をあわせ、納骨堂のなかの大きな仏さまに手をあわせていると、カタカタと音が・・・。母のところではなく、他人さまのほうからカタカタと音・・・。たぶんあの音に違いありません。

震えるわたし・・・。

一目散に母のところにもどり蝋燭を消し、納骨堂の扉をパタンと閉めた瞬間、誰もいないはずの納骨堂から「ち~ん」と音・・・。

畏れを抱いたのは、私が上の空だったために、ご先祖さまに合掌したものの「ちーん」するのを忘れていたのです。

この恐怖。

扉をあけ、「ごめんさない」と大きな声で一人ぼっちの納骨堂にはいり、「ちーん」してきました。

それから震えながらも冷静に扉をしめ、再度一目散に帰宅。

そして今日、今日こそ何事もなくと願いつつ、納骨堂の仏さまに一番に合掌したとたん電気が消えました。

それでも母のところでお水とお供物、蝋燭をつけお線香をあげ、「ちーん」を忘れずに、そして涙ながらの合掌。その時間5分くらいでしょうか。

当然、今日も一目散にお寺を後に。

「今日もがんばった」

こんなところで口にでてしまった一言でした。何を諌められているのかな、私・・・。

mari ちゃん コメントありがと!
気が付かせてくれて・・・。

①まず手を合わせる。(挨拶と帰依の心をもって)
②供物を献ずる。焼香・線香も「香を献ずる」ということ。
③鐘を打つ。
④手を合わせる。
とありました。

そうですよね、挨拶と帰依の心をもって
実はお願いごとしてたのです・・・。それって仏さまにしてはいけないことだったのですね。安らかにといま、仏壇に手を合わせました。

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2010年6月 7日 (月)

ギュスターヴ・モロー ヘシオドスとミューズ、そして声

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ギュスターヴ・モロー 声 Voice

モロー美術館所蔵


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ギュスターヴ・モロー 声 Voice

1867 ティッセン ボルネミッサ美術館


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ギュスターヴ・モロー ヘシオドスとミューズ

Hésiode et la Muse 1891 オルセー美術館


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ギュスターヴ・モロー ヘシオドス オルフェウスと夕べ

Hesiode. Le soirMatin. L'Inspiration .モロー美術館

こちらに関してはKAFkA過去記事、REMOVEの記事から解説をご覧ください。

KAFKA ギュスターヴ・モロー人類の生から

REMOVE ギュスターヴ・モロー多翼祭壇画「人類の生」 


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ギュスターヴ・モロー ヘシオドスとミューズ

Hésiode et la Muse 1870 モロー美術館

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ギュスターヴ・モロー ヘシオドスとミューズたち

Hésiode et la Muses c.1860 モロー美術館

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ギュスターヴ・モロー ヘシオドスとミューズ

Hésiode et la Muse 1857 ジェルマン・セグリマン コレクション


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ギュスターヴ・モロー ヘシオドスとミューズ

Hésiode et la Muse 1858 カナダ国立美術館


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ギュスターヴ・モロー ヘシオドスとミューズたち 

Hésiode et la Muses c.1860 モロー美術館


ギュスターブ・モロー関連記事はこちらから

XAI 「キマイラたち 悪魔的なデカメロン

各作品記事にリンクしているほか、一般的に掲載されているフォッグ美術館所蔵「キマイラ」の作品画像に比べて、とくにオリジナルに近い作品画像もご覧いただけますよ。


ギュスターヴ・モローは、1886年の「人類の生」で、ヘシオドスの「労働と日々」から三場面にわけて描いています。

ヘシオドスといえば「神統記」!が有名ですけど、古代ギリシャの叙事詩人ヘシオドスは、羊飼いの時代に、突然にムーサが詩人としての才能をヘシオドスに与えたという逸話がありますが、その場面をモローは描いているのでしょう。

さて「声」ですが、とても「ヘシオドスとミューズ」に似ています。モロー美術館所蔵の「声」は胸のふくらみからいって女性のよう。

モローはアンドロギュノス化した男女を描くこともあり、女性らしいのに男性性器を描いたりしています。

とくにモローはオルフェウスのほかに「サッフォー(サッポー)」もよく描いていますよね。声の主をムーサ、ミューズと考えると、詩人はサッフォーを描いたのかもしれません。


ギュスターヴ・モロー 夕べの声(夕べの声々)


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ギュスターヴ・モロー 夕べの声々
Les Voix du soir モロー美術館

この三人はアグライアー、エウプロシュネー、タレイアです。そう、「三美神」なんですね。でもタイトルは「夕べの声」で、三美神をしめす「カリス」や「グレイシス」とはありません。

アフロディーテの従者となるまえは、「オリュンポス山の山頂に住み、神々の宴ではアポローンの竪琴やムーサたちの歌声と共に演舞した(wiki引用)」とありましたが、KAFKA過去記事で「人類の生」にある「夕べと苦しみ」を紹介しています。

そこにwankoさんの記事「夕べと苦しみ」にリンクもしていますが、調べてみると詩人ポール・ブールジェの「夕べ」という擬人化は、「眠りにつこうとしてることに耳をかたむけさせる」ともありました。

モローは「声」というタイトルに何を象徴したかったのか気になるところです。やはり詩人、音楽そうした芸術なのでしょうか。


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ギュスターヴ・モロー 声(聖セバスチャン)

Les Voix (Saint Sébastien) モロー美術館

習作の聖セバスチャンは、「声」というタイトルがつけられています。こうしていろんな作品を鑑賞してみると、隠れた作品から、意外な作品とのタイトルの共通点や、同じ作品のように描かれていてもタイトルは違ったりと、モローの夢のかけらが見えてきますね。

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