2006年8月20日 (日)

ゴッホ ゴッホの四季草花道

Van_goghs_piony_rose1890年の「花瓶の薔薇」です。ゴッホの花瓶に活けた芍薬の絵は、←こちらをご覧ください。またこの絵は大きな画像を用意しています。画像をクリックしてね。→

私のブログを覘いてくださる皆さんのテーブルにも飾られているような花瓶の薔薇。

これから家を出て、庭を巡って、近くの散歩道を歩きながら、ゴッホの風景を探してみませんか。

Mand_met_viooltjes_op_een_tafel 私のもっとも好きなゴッホの草花画です。このゴッホの三色菫(1886年)をみるたびに、単身赴任で転勤した頃を思い出します。

母からの手紙は「質素に清清しく生活を」という言葉と、自宅の庭に咲いた三色菫の写真を送ってくました。

あれから10年経ち、いまは地元の二世帯に戻っていますが、毎年、庭に咲く「三色菫」は、いまだに母の手によるものです。

Amandelbloesemゴッホが亡くなった1890年に描かれた「アーモンドの花」です。ゴッホの情熱的なカラーではなく、まるでモネの睡蓮や雪佳の図案を思わせるよう。

ゴッホの糸杉シリーズ、星月夜、ジャポニズムよりも、ずっと関心があります。

ピカソやゴーギャンのように、独特の絵柄をもつ人が、その気配をすっと絶って描いているからです。そして、気配を絶って描くことができたのは、ゴッホだけではないかと思うのです。

Blossoming_chestnut_branches すずらんです。こちらも1890年。

1890年5月、パリ近郊の芸術家村オーヴェール=シュル=オワーズに移り住み、とてもその環境を喜んでいたゴッホ。この2ヵ月後の7月27日、ゴッホはピストルで胸をうち、29日に息をひきとったのです。

Roses

1889年作の「野薔薇」は東京の国立西洋美術館で拝見できたような。(記憶が定かではありません。)こういう場所を歩いてみたいですね。しかも自宅から続く道のり(通勤や通学の道)にほしい。

実は、近くの神社と小学校があるすぐの公園が、こんな感じです。野薔薇ではなく、夏の紫陽花。ですが、私の通勤は、反対側の地下鉄を利用するのです。この公園、自宅からは歩いて5分の場所です。

Gogh_pink_roses 1890年の「ピンクの薔薇」です。

スティールのような楕円形のプランターに植え込まれたピンクの薔薇。

運命の死が目前に迫っているゴッホは、この時期に自然の息吹をキャンバスに納めています。

いままでは通り過ぎていた花や草、木々が、40代半ばになると、コンクリートの隙間の葉にまで、心惹かれるようになりました。

Gogh_rose_whiteさぁ、我が家に帰ってきました。

夕日が沈む手前です。出かけたときの「花瓶の薔薇」が憂いを帯びたような美しさに変わっています。

スティルライフ。

まさに生の美が、枯れようとしている一歩手前の美しさ。生あるものは、すべて腐敗していくのです。その腐敗を前に、まだ生きている。

さて、ゴッホの芍薬や薔薇、菫より、ひまわりが何故いいのでしょう。情熱的、男性的だからでしょうか。あの壷の中のひまわりが何枚も描かれて、三幅対になる原則を最近になって知りました。ちなみに「タンギー爺さん」の背景にある浮世絵が異なる、その2枚の絵があることも。ゴッホの関連記事はこちら

Viooltjes

ゴッホ 三色菫(1887年) 
ファン・ゴッホ美術館

Amandelbloesem, 1890

ゴッホ アーモンドの花(1890年) 
ファン・ゴッホ美術館

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